2018年8月27日

かあやんの諦観「一人息子」

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トーキー時代の幕開け

昭和11年公開の、小津安二郎2作目のトーキー作品です。
飯田蝶子演じる母親が東京に出した一人息子を訪ねて行きます。
さぞや東京で立身出世している事だろうと来たいに胸を膨らませていたら、息子は夜学の教員でいつの間にか見知らぬ女と結婚して子どもまでいると言うこの落胆と諦観。

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小津は「繰り返し」を好む監督ですから、この時の撮影で「東京物語」のアイディアが浮かんだのかも知れません。
もっとも、一人息子は戦前の作品で、小津はこのあと戦地へ向かい、復員してからの東京物語ですから、世の中が大きく変わっています。
そこまでの信念を持っていたのかは疑問ですが、作品の切り口が両作良く似ていることはたしかです。

小津がいつの時代になっても一般市民に愛されるのは、ホームドラマを撮る監督、だったからではなくて、人間関係の余計な物を削ぎ落としたシンプルな情感を描き続けたからではないでしょうか。

息子の立身出世を信じて止まなかった飯田蝶子と、「もうちょっといい場所で開業していると思ったが、ただの町医者だったよ」と息子を語る笠智衆の落胆。
これはまったく同じ感情がベースになって書かれていますね。
両作で小津が伝えたかったものはこの落胆と諦観だと思うんです。
こんなこと、現代でも良くある話じゃないですか?

私個人の境遇と似た映画なんです

私事ですが、うちにも一人息子がおりまして、まったく同じことをやらかしてくれたので、子を持つ親の心情に小津が限りなく寄り添ってくれました。
ホームドラマって「渡鬼」みたいのがステレオタイプと誤解されている方もいらっしゃるかも知れませんが、あんな小手先のセリフの多さだけで作るドラマばかりじゃないんですよ。

家族だからって言いたいことを剥き出しに言いっ放しじゃダメなんです。
諦めも必要なんです。
と、私は小津から教わりました。

一人息子にはまだトーキー映画がめずらしい時代の作品らしく、息子が母をトーキー映画に連れて行くシーンがあるんです。
飯田蝶子は映画の料金を気にして息子にとっては大きな出費だったんじゃないかと全然楽しんでいる表情ではないんです。
ここなんです、飯田蝶子の表情の表現が見事で見惚れてしまいます。

そのお金を気にして、けど自分も裕福な暮らしをしているわけではないから息子に何もしてやることができない不甲斐なさの表情は幾シーンもあります。
私も似たような境遇なのでひときわ心に沁みた映画でした。

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