2018年5月28日

「東京物語」を今、ふたたび読み解く

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小津映画にはスタァ女優が不可欠

昭和を生きる人々を描いた、いわゆる「ホームドラマの走り」と呼ばれる小津安二郎の映画が、平成も終わりに近い今現在、古くさいと思われてしまうのも仕方のないことと、私もやや諦めモードです。
けれども小津の作品には、どう転んでも動かしようのない普遍性があって、これが平成の現代でも国内外に多くの熱狂的な小津ファンを集めていると思います。

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興味深かったのは、以前ツイッターで、世界中の映画人たちが選ぶ個人的映画10選と言うアカウントで日本を代表してたびたびランクインしていたのは、小津と成瀬巳喜男の二択だったことです。
あとは、時々ミゾケンさんが登場するくらいで、あんなに公開当時は海外でも華々しく活躍していた黒澤明の名を見かけることはありませんでした。

これは少し理由が分かるような気がするんです。
黒澤明の映画はお飾りであっても女優さんがほとんど登場しない、ヤロウの世界で、ここが好みの別れるところだと思うんです。
私も申し訳ないんですけれど黒澤映画の男臭さには辟易している組です。

小津はその点、戦時中にたくさんの洋画を隠れ見していたので、映画にスタァ女優は欠かせないと言う思考に至ったんでしょう。

「東京物語」と「紀子三部作」

さて、小津安二郎と言えば誰もがその名を知る「東京物語」が一番有名な作品だと思うんですが、この作品は「紀子三部作」の最終章でもあります。
当時の大スタァ女優、原節子を起用して、「早春」「麦秋」の2作にに続き、東京物語でも原節子が主演を務め、彼女の役名は紀子です。
「紀子」と言うのは単純に役名であって、紀子三部作の設定などに被っているところはありません。
紀子三部作の前2作が、「紀子の嫁入り」を主要なテーマに置いているのに対して、東京物語での紀子は戦争未亡人の役を演じています。

ここで、物語の主人公となる平山家の人物を紹介しますと、尾道に住む笠智衆と東山千栄子の老夫婦が、東京に住んでいる子どもたちのもとを訪ねることにしたんです。
尾道には末娘で小学校の教員をしている香川京子が老夫婦と共に住んでいます。

東京の郊外に住む長男の山村聡は町医者を営み、長女の志げは美容師です。
志げの役はおそらく杉村春子にしか演じることができないでしょう。
「天衣無縫」杉村春子のことを思い出す時に、私はいつもこの言葉を思い浮かべます。
ご本人の内心はどうだったかは分かりませんが、いつでもどこでも開けっ広げな演技で魅了してくれた女優さんです。

そして、戦死した次男の妻だったのが原節子、と大体がこう言うメンバーです。
(当時の国鉄にお勤めの設定で大阪に大坂志郎の三男がいるんですけれど、あまり大きな役ではありません)

尾道から出て来た老風波、一旦長男の家に

東京に着いた老夫婦は一旦、長男の家に身を寄せます。
長男の家では小学生の男の子が、自分の勉強机を廊下に出されてしまったと拗ねています。
日曜日に父子と両親とで東京見物に出かける予定が、出かける直前の急患で、それもキャンセル。
子どもたちはますます拗ねるわけです。

それを聞いた長女の志げ(彼女は家族の中間管理職だと思います。若い頃はあのキャラが大っ嫌いだったんですけれど、年を経て私も「同士よ」と言える心境になりました)、は即座に仕事中の紀子に電話をかけて、「あなた半休取って、お父さんとお母さんを東京見物させてあげてくれない?」と交渉成功。
海千山千のッ杉村春子にとって、永遠の処女(をとめ)原節子なんてチョロいものなんです。

なにしろセット撮影の多い小津作品ではめずらしく「はとバス」車内ロケーションも出て来ますが、そのカメラポジションもやっぱりローポジです。

はとバスで東京見物をして、デパートの屋上で子どもたちの住居のエリアを尋ね、紀子のアパートで父は軽くお酒をいただき、心づくしの休日を味わいます。

その頃、海千山千の志げと長男は、両親を数日間、熱海の温泉へ行かせたらどうだろうか?と相談をしています。
体裁のいい所払いなんですが、ふたりとも現実に抱えている仕事が多忙すぎて親の世話をお金で買うことにしたんです。
実際に熱海へ行ってみると、そこは老夫婦にとっては癒やしの場とはかけ離れていて、深夜まで流行歌のレコードがかかっていて、麻雀の音などとても安眠できた状態ではありません。

朝、散歩をすると老妻がちょっと立ちくらみを起こして、これはいかんと老夫妻はふたたび志げの家に戻りますが、その日は志げの家で美容師の会合があるとかで、「そのために熱海に行ってもらったのに、なんで寄りによって今日帰って来たの?」と志げに怒られちゃったら居座るわけにも行きません。
老夫婦はあてどなく志げの家を出ます。

宿なしの老夫婦

「とうとう宿なしになってしまいましたね」老妻がおっとりと語りかける、このシーンが東京物語のクライマックスではないかと私は思っています。

小津の作品の特徴として「繰り返し」が多用されることはよく知られています。
「浮草」のセルフカバーなどもそうですね。
東京物語は戦前の「一人息子」とどことなく似ている部分が多いです。

東京へやった一人息子が立身出世していると思い込んで会いに行く飯田蝶子が現実を知り茫然自失となるんです。
息子はいつの間にか「デキ婚」をして、ちゃっかり赤ん坊までいて、立身出世どころか夜学の教師をしているんです。
この落胆はそのまま東京物語の老夫婦にも当て嵌まっています。

「もうちょっと都会で開業医をしていると思ったんだが」
「志げもむかしはもっとやさしい子でしたのに」

そんな言葉がつい口を出てしまう老夫婦に帰宅の日が訪れます。
子どもたちは駅まで見送りに来てくれて、にぎやかにお別れをするんですが、老妻が体調を崩し大阪で一時降車して、三男のアパートに泊まるんです。
三男は先にも述べましたが大坂志郎です。
「おおさかって名前を名乗っているくらいだから、もっと関西弁が巧いかと思ったよ」と小津に言われたそうです。

大阪のアパートでの短い会話

このアパートでの老夫婦の会話に私は心を打たれます。
「子どもと孫ではどちらがかわいいですかね?」
「いや、わしはやっぱり子どもがかわいいかの」
「わたしもそうなんですよ。孫は孫でかわいいんですけれど」
これは今、母に溺愛されている私にとっては、「やはりそうなのか、そう言うものなのか」って思ってしまうんです。
うちお母の溺愛もかわいいものでしょう、受け容れるしかありません。

大阪のアパートで1泊して無事に尾道に戻ったと思われた老夫婦ですが、その後すぐに老妻が亡くなってしまうんです。
狐につままれたように尾道へ集まる子どもたちの中でも、志げは相変わらずセカセカと、会食の席で形見分けの要求をして末娘の京子を怒らせ、原節子がそれを諫めます。

東京、大阪から来た子どもたちが一気に帰って行く中、残った原節子と笠智衆が訥々と話をするシーンでこの映画は幕を閉じます。

まったく捨てシーンがひとつもない、すばらしい完成度の作品だと思います。
ここに戦前の一人息子のテーマでもあった「諦観」と言うテーマを重ねてみると、より鮮明に東京物語への理解が深まると思います。

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